名文

名文は語り継がれ、人の心を救う。

熊平製作所が長年にわたって発行する今年の「抜粋のつづり」の冒頭に収められたエッセイが、市井に生きるごく一般の人々の素晴らしさを伝えている。

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利他のこころ - 東ゆみこ
 八十歳をすぎた私の両親はともに認知症などをわずらい、一年半ほど前、たて続けに同じ病院の三階と四階に入院し、離ればなれになった。最近になって父だけ介護施設に移ったが、病気は進行し、お金も携帯電話も一人で扱うことができず、ほんの少しの着替えと日用品だけで毎日を過ごしている。
 見舞いに行くと、母は毎回「せっかくの昼寝が邪魔された。いい気持ちで寝てたのに。帰ってくらっしぇ」と言う。父は窓から見える棋の木の枝が気になるらしく、「あそこが刈られていないなぁ」と繰り返しつぶやく。そういえば、別の病院では、禁止されている携帯電話をかけ続けたり、「寿司を持って見舞いに来い!」とどなったりする老人を見たこともある。
 心身が衰え、慣れ親しんだ人や家、大切にしていた物から離れて、記憶さえ薄れていく中にあっても、人間は何かにこだわり続ける。なぜそこまでこだわるのか。他人には容易に理解しがたいが、そういう出来事に遭遇すると、いつも伯母の死の場面が思い出される。
 ここでいう伯母とは、私の母のきょうだいのうちの最年長の姉を指している。貧しい漁師の家に生まれ育ち、若いころは腕の良い海女で、その稼ぎで両親や弟妹たちの生活を支えた。
 あるとき伯母は、子どもがいなかったために跡継ぎを探していた小さな旅館の女将にほれこまれ、養女となった。旅館のことなど何ひとつ知らなかった伯母は、料理はもとより、旅館のきりもり、業者とのつきあいに至るまで、女将の教えを、睡眠時間をけずって習得した。
女将が亡くなって旅館を引き継いだ後も、教えに忠実だった。墓参りも欠かさず、仏壇に線香とご飯をそなえ、「おばあちゃんが好きだったから」といって、自分では吸わない煙草を口にくわえて火をつけ、線香の隣に立てていた。伯母は、貧しい海女だった自分を二代目に選んでくれたおかげで、自分の家族が金銭的に助かった日手を合わせて感謝していたのである。

 けれども、そんな伯母が、ひょんなことから子ども向けに書かれた釈尊の四門出遊の物語を読み、先代の女将が仏教的な意味での間違いを犯していたことに気づいた。
 先代の女将は、「行商人というものはこちらを騙して、質の悪い魚を高く売ろうとするから気をつけろ。つけいられないように叱り飛ばせ」と伯母に命じた。伯母はことば通り行商人に厳しい態度をとっていた。だが、人々の苦しみを見て出家を決意された釈尊のように、身内だけでなく他人に対しても思いやりの心を持たないと考えた。先代の女将のおかげで自分の家族が助かったように、自分もで他の人をできるだけ助けるべきだ、と。そこで、行商人に深々と頭を下げ、これまでの自分の態度を率直に謝り、時折チップを渡すようになった。チップは、行商人が商売をたたんだ日まで続いた。
 伯母は釈尊の童話をきっかけとして、これまでの教えを捨て、生き方を抜本的に改めたのである。しかし、感謝の念は絶えることなく、脳梗塞や心筋梗塞で倒れた後も、「車で行けば」という息子の勧めを断って、道端で休み休みしながら、不自由な体で墓参りを続けた。
 その伯母が亡くなったときの話である。
 たまたま帰省していたおり、伯母が危篤状態だとの連絡がはいった。母とともに病院に急行すると、すでに親類縁者、七、八名が集まっていた。私も小学生のころに看てもらった主治医の先生が、伯母の脈をとっていた。伯母はまさに亡くなろうとしていた。
 旅館の跡取りである長男は、「かあちゃーん、俺をおいて逝かないでくれよォ」と叫んだ。伯父は伯母の名前を呼び、「いろいろ世話になったな。俺も、俺の親も兄弟も、みんな本当に世話になった」と声をかけた。冗談好きの伯父が伯母の名前をまじめに呼んだので、私はそれをはじめて聞いたかのような感慨を覚えた。他の人たちはほとんど口をきかず、身じろぎもせず、じっと様子を見守っているばかりだった。
 そんな中、先生が右手を大きく動かして、自分の顔をふいたのが目にとまった。驚いたことに、患者の死に慣れているはずの先生が泣いていた。何度か涙をぬぐった後に、こうつぶやいた。
「この人はさぁ、俺に『体を大事にしてください」って言うんだよなぁ。患者なのに、死ぬってときに、医者の体の心配をするんだよ。痛いとか苦しいとか文句も言わないで。こんな患者、はじめて見たよ」
数日後、先代の女将が眠る菩提寺で葬儀が営まれた。説法の段になって、それまで式を取りしきっていた若い住職に代わって、奥の方から老住職がよぽよぼとした足取りでやって来られた。老住職はたどたどしい口調で法名について話し始めた。

「仏の最も大切な教えのひとつである慈悲。この慈悲の中でも大いなる慈悲をあらわす『大慈」の文字をつけさせていただきました。おかみさんは、生前みなさんを大きく慈しみました。仏の教えにつかえる身で、私がおかみさんに慈しみを与えるべきところ、この私でさえ、おかみさんは慈しんでくださった。私は末期ガンでを追うことになるでしょう。それなのに、こんなことしか言えなくて情けないが、このへっぽこな頭で何度考えても、この方の戒名には『大慈」しかない。これしか思い浮かびませんでした」
 もう三十年以上も昔のことである。
(ひがしゆみこ=国際ファッション専門職大学教授・大法輪「鉄笛」元年7月号)