過去とは

平成の終結に向けてテレビでは様々な振り返り特番が組まれている。昭和との対比において決して物質経済的には明るい時代ではないように見える数々の映像に対して、自分たちは平成しか生きたことがないので対比で時代が語られるのに違和感を感じると、ある若いコメンテーターが発言していた。私はその通りだと感じて、ある思想家の言葉を思い出した。

過去が過去として充足し、現在が現在として充足しているならば、時間は不必要かつ不可能である。そうでないがゆえにわれわれは犯行現場に必ず立ち戻るといわれる犯人のように、多かれ少なかれ過去にくぎ付けになっていて、つねに過去をもう一度やり直したがっており、そして過去をもう一度やり直すチャンスが得られるかもしれない時点として過去から現在へと流れる線の延長線に未来という時点を設定したのである。未来とは逆方向に投影された過去、仮装された過去に過ぎない。未来とは修正されるであろう過去である。

私にとってやり直したい過去とは何だろうか。もちろんたくさんある。受験勉強に興味を持たずに無為に時間を過ごしたこと。自分の世界の外に向けてなかなか一歩踏み出せなかったこと。ある人と添い遂げなかったこと。正月から長い時間をかけて私は自分の平成史を振り返った。そしてついに今日それがまとまった。

しかし過去は過去。その文章を死の淵に自分がいることを強く意識するその時までもう見ることはない。