大叔父の葬式

亡くなった大叔父は何も活用されていない調整池を近隣住民の娯楽のために釣り堀に変える提案を続け、初めは頑なだった行政も徐々に拡大する住民の要望に折れて釣り堀にすることを認めていた。初めての要求書が提出されてから5年の月日を要していた。

お通夜に参列いただいた地域の方々の一人が焼香を終えると「あなたのおかげで私たちの生活に再び憩いと潤いが戻りました。ありがとうございました」と大きな声で言うと地域の人が一斉にすすり泣き始めた。私はそれを見て、人の一生の価値を見た気がした。

代々続く家業では従業員の生活を守るために自宅も売却する等、一家で苦労を極めることも多かった。しかし今日のその一言で遺族は大きな救いを得たと思う。